これまでのこと

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ロングバケーションときどき助手

 本当に高校を卒業した気分だった。
 早速角館の実家に帰った。初めのうちはチームの要請でときどき上京し、敵情視察などに駆り出されることはあったが、大部分はロングバケーション。周囲の人たちが気遣ってバスケットボール指導者の就職をいくつか紹介してくれた。しかし、一度卒業したバスケットにはもう興味が湧かないので、丁重に辞退した。
 24時間バスケット漬け、男女交際も外泊も禁止、遊ぶのも飲むのも合宿所内という生活、極限の睡眠時間からの解放は、まさに「羽目をはずす」の見本。出遅れた青春を力いっぱい満喫した。友達と街を歩き、旅行をし、たくさんの人と出会い、恋もした。その何もかもが楽しかった。
 東北を中心に全国の自然を撮り続ける写真家、千葉克介さんに出会ったのもそんなときである。幼なじみがフィルム整理などのバイトをしていたのがきっかけで、花桃(はなもも)の群生の撮影で福島についていったのだ。
 そこで目にした花たちは、驚くほど輝いていた。「すげェな」と思った。もちろん花を見たことがないわけではないが、そんなに美しい姿は初めてで、涙が出てきたという。自然の力に打ちのめされた。もっと見ていたい。それが、始まりとなった。
 最初は撮影があるときだけの臨時バイト。荷物運びのようなものである。1年ほどして、常勤のスタッフとなった。当時は普通の写真屋を兼ねていた事務所で店番をし、撮影で人手が足りなければ手伝う。重い機材を背負ってひょいと崖を登り、息も切らさずに山道を歩く。そのバスケット仕込みの体力とガッツは、師匠と仰ぐ千葉さんや周囲の人たちを唸らせた。
 機材を運び、カメラ調整、フィルム交換、雑用をして、大自然が描き出す最高の一瞬に立ち会う。北海道から沖縄まで、全国各地の撮影に同行。冬の岩手山で8日もキャンプに閉じ込められたり、激流に流されかけたこともある。そのすべての風景と感動、たくさんの人たちとの出会いが、バスケットを絞り出してしまった心に染み渡っていく。その場にいられるだけで嬉しかった。
 トイレは外でも平気、どこででも寝られる、何でも食べられる、という女性写真家の必須科目も修得。持ち前のガッツにも磨きがかかった。

師匠からもらった一眼レフが最初のカメラとなった

 それでも当時、写真家を目指しているわけではなかった。ただ、好奇心と実益を兼ねた居心地のよさに浸っていた。しかし、小松さんの気持ちにだんだん変化が訪れる。撮影を手伝っているとき、いつの間にか、何度も心の中でシャッターを切っている自分に気が付いたのだ。そして、
「先生、私にも撮れるべか」 という言葉が、ふっと口をついて出た。
 そのとき、師匠から手渡された一眼レフが最初のカメラになった。
 それからが悪戦苦闘の始まりである。思ったとおりには撮れなくて、もっとたくさん、もっと別の何かという思いでシャッターを切り続けた。夜明け前の山を歩いていても、ファインダーを覗いていれば怖さも感じない。カメラを持って3年後にはエージェント2社とも契約。アシスタントの仕事の傍らとはいえ、自分の写真に熱中し始めた。
 しかし、何を撮るか、どう撮るかまでは師匠に教えてもらうことはできない。
「俺と同じ写真を撮ってどうする。もっと別の視点で見てみろ」
 写真家を目指したときから無言で見守り続けてくれた師匠が、そうアドバイスしてくれた。何をどう撮りたいのか、自分のテーマは何なのかと自問自答する一方で、師匠みたいな写真というイメージが頭から離れなかったのである。師匠の言葉に反発しながらも、遠くばかり見ていた自分の目が、次第に足元にも脈々と息づいていた生命の力、当たり前の地球の営みを見つめるようになった。
 無理に高い山や深い渓谷に入らなくても、撮りたいものはここにある。食べていけなくても写真だけは撮り続ける、そう決めた。
 カメラを 持つこと。自分だけのテーマを持ってそれを発表し、商品として通用するものをつくること。写真集として発表すること。そのすべての道を開き、自分の写真探しに忍耐強く付き合ってくれた師匠。小松さんは、また名監督に出会ったようだ。

滋養満点、ひとみ流撮影紀行

 日本一、世界進出を目的に全力疾走したバスケット時代が、飛行機や新幹線での旅行とするならば、写真はゆっくり歩いて道程のすべてを心に納める旅だと思う。道々の風景をすべて、町並みやそこにある暮らし、それぞれの土地に住み、行き来する人たちも、彼女にとっては滋養満点なのだ。
 自然保護が取り沙汰される国立公園や原生林を同じ輝きを持って、命の花を咲かせる土手や道端の草木が ある。そのひとつひとつとちゃんと向き合おう。ゆっくり歩いて、見逃さないように見ていこう。小松さんが掴んだ、彼女なりの写真の撮り方である。
 そう考えると、自宅の周囲100メートル四方もフィールドワークの舞台になってきたという。家の周りには、見なれた野草の群生がある。そこを歩いていると、ときどきその中のひとつが急に浮き上がって見えるときがある。まるで雑踏の中で恋人と出会う感じだ。一瞬でシャッターチャンスが決まるときもあるが、弁当持参で座り込み、何時間も粘ることもある。
 実家が商売で忙しかったこともあるが、子供の頃は暗くなるまで外で遊んでいた。男の子たちと基地をつくり、山菜やタケノコが採れる近くの野山は絶好のロケーションだった。その遊び場にかつてのわんぱく娘が帰ってきた。カメラを持っているが、好奇心いっぱいで歩き回る姿は昔と同じである。
 小松さんの住む角館は今、深い深い雪の中に静まり返っている。東北人は雪に慣れているというが、ひと月も過ぎれば、「見慣れる」を通り越してすっかり飽きてしまう。
 年々仕事も忙しくなり、師匠の運営する黎明舎の庶務係、マネージャー、写真家としての仕事を兼ねる毎日。今は雪かきが1日の最大の仕事という小松さんにとっても、春を待ち侘びる気持ちは同じ。今年の春は一番に雪割草を撮ろうと思っている。
 福寿草、カタクリ、ふきのとう、名残の雪のせせらぎや、柔らかな陽射しに映える若芽。小松さんにとっては書き入れ時だ。この先もずっと、彼女は温かい目でそんな小さな命を追いかけていくのだろう。
「春はゆっくり寝ている暇もない。下ばかり見て歩くから、また腰を痛めそう」と、楽しそうに笑った。
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   この文章は、雑誌「ポカラ」1999年3・4月号の
   ルポルタージュ特集「この20人の生き方に学べ」で紹介されたものです。
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