久しぶりに本屋さんをのぞいてみました。
何を買うわけでもなく・・・いわゆるブラブラしました。
そんなに本を読む方ではありませんが、今年亡くなられた吉村昭氏の小説が大好きで、ほとんどの本は読ませて頂いています。数々の素晴らしい作品を残されましたが、もう新作が読めなくなったことにものすごく寂しさを感じています。そして生き様・壮絶な死に様も吉村氏らしかったです。
「熊嵐」・「破獄」・「高熱隧道」。そして「漂流」もいいですね。山に何日かはいる時は吉村氏の単行本を必ずカメラバックに入れていきます。今年の冬山には「零式戦闘機」と短編もの5編が入った「水の葬列」を持って行きました。結局なかなか晴れずに「零式戦闘機」は二度も読みました。
吉村氏のコーナーを覗いてから、ぶらっとカメラ雑誌のコーナーへも立ち寄ってみました。たくさん出版されている雑誌を久しぶりに覗いてみてちょっと感じたことがありました。
それは写真のタイトルがどれもこれもものすごく凝っていること!
なかにはタイトルにごまかされそうなぐらい、写真よりも目立っているタイトルもありました。
タイトルを隠して写真だけ見てみると・・・オイオイ・・・というのもありました。
確かにタイトルは重要ですが、まずは写真で思いを伝えるというのが第一。そしてタイトルは添え物!刺身で言うならツマのような物!そんな風に考えてましたから最近の傾向に少し驚きました。
そしてもう一つ正統派風景というか、すきのないビシッとした風景が少なく、時間がかかっただろうなあ・・・と言う写真が少なく、いわゆるお立場の有名所の場所で皆同じように撮っていて、しかもやたら切り取り写真ばかりが目立っていました。これも一つの流行りなのかもしれませんね。
明らかにコンテスト狙いと思えるような写真が多い様な気もしました。
そんな流行りに流されていいのかなあ???おもしろいのかなあ???そんな風に感じました。
それとは対照的な吉村氏。写真と比べるのはたいへん申し訳ないような気がしますが・・・
氏の作品は地道な調査の元に書き上げられたものが多く、それにかかった膨大な時間とエネルギーに感服させられます。そこが読む人を引きつけ、感動を与えてくれるのだと思います。
氏の作品を読むたび、写真もこうでなくていけないぞ。薄っぺらい小手先の写真ではいけないぞ。そんな風に思うのです。
寒い寒い雪山に氏の本を持って行くのもそんな理由からで、氏の地道な活動の上に発表された作品から「我慢」や「待つ」ことの大切さを学び、自分の心を奮い立たせているんです。
なかなか吉村氏のように結果を残すことが出来ないのが玉にキズですが・・・・
本屋さんでこんな事を考えました。