新緑の時期を迎えている県内ですが、少し前の桜の話しをしたいと思います。
みちのくの桜の開花情報に、毎年そわそわしてしまいます。「今年は地元でのんびり春を待つぞ」と思っても、なぜか知らないうちに桜を撮影する気分になっていくのです。
私が生まれ育ったのは、しだれ桜で有名な仙北市の角館。古い町並みにある今の市立角館樺細工伝承館が母校の角館小学校でした。
春は桜咲く武家屋敷通りを通学し、教室の窓一面に広がる桜を見ながら学びました。運動会は、桜並木が続く檜木内川の堤防。桜が舞い散る中、母親手作りのお弁当を食べたものです。
そんな環境だからこそ、私は「桜狂い」になったのかもしれません。
桜を追いかけていると、同じく桜を追い求めている常連さんに出会います。
1年に3分の1ほどアルバイトして貯金し、軽自動車ではるばる岡山県からやってくる女性。桜の季節になると休職してやってくる気象予報士の男性。時刻表をボロボロにしながら列車を乗り継いで東北の桜の名所を訪ね歩く自称「桜ストーカー」。桜の旅に出ると、そうした人たちとの情報交換が楽しいのです。
毎年見事な桜を咲かせてくれる「桜守り」の方たちとの再会も旅の目的です。
1週間足らずの桜の開花のため1年間桜の木を見守る人たちには、「今年も見事な桜を咲かせてくれてありがとう」と感謝の気持ちでいっぱいになります。
最近まであまり注目されず、地域の人たちがそっと見守ってきた桜にも観光客が訪ねてくるようになっています。湯沢市横堀赤塚の「おしら様のしだれ桜」もその一つです。
私も「今年こそは撮りたい」と足を運びました。時期は少し過ぎていましたが、何とかイメージ通りに撮影できました。「朝ご飯を食べに来なさい」とか「これ飲んでよ」などと地元の人から温かい言葉を掛けてもらいました。
すると私に謝るのです。「桜の手入れで、景観を考えずに枝を切り過ぎてしまって。みっともない桜にしてしまいました」と。
確かに、(しだれ桜を紹介した)ポスターの写真とは違っていました。「とてもいい写真が撮れましたよ。」とお礼を言っても、気にしている様子でした。
しばらく桜を眺めいていました。この桜がここで毎年変わらず咲き、地域を見守ってきた時間は私たちの人生に比べて途方もなく長い年月なんだと感じました。
枝を切られたことも「小さなことで何をうらたえているのだ」と、そんな桜の声が聞こえてきそうで思わず笑ってしまいました。
それよりも地元の人たちのもてなしの心だけが印象に深く残り、ほんわかとやさしい気持ちになりました。
来年もやっぱり桜を追いかけちゃうんだろうな。
朝日新聞 あきた時評〈1〉より(2007年6月13日掲載)
もちろんうまく書く事など逆立ちしてもできません。
へたはへたなりにいままでの取材中などに感じたままを私なりに伝えていければなあ〜と思っています。